「さみしい...会いたい...」素直な気持ちを言えなかった15年 当時小学生 東日本大震災で家族を亡くして
東日本大震災から15年。家族を津波で亡くした女性は、当時の自分と向き合い前に歩んでいる。
■父と伯母を津波で亡くして
「何も残ってないけど、住んでいた場所になります」
「あれだけ瓦礫の山だったのがきれいに整備されて、緑が植えてあって、復興が進んでいるっていうのを感じるなかで、15年前ここで暮らしていた人たちもいたんだよなっていう、自分もここにいたんだよなっていうのを感じました」
宍戸ひかりさんは、様々な葛藤と共に"あの日"からの15年を歩んできた。
津波で家屋などが押し流され、多くの人が犠牲となった福島県相馬市原釜地区。当時小学生2年生だった宍戸さんは学校にいて無事だったが、父親の光一さんと、母親代わりだった伯母の臼井ヤスノさんを亡くした。
"忘れることはないけど思い出すこともない" 気丈に振る舞いながら、精一杯前を向いていた。
「よく保育園の送り迎えしてもらう時に、父と一緒にここを車で通った。海が毎回見えるので、天気いい時はずっと窓に張り付いて、窓から『きょう海きれいだね』って話しながらいつも送り迎えしてもらっていました」
■誰かの力になりたい
宍戸さんは宮城県の大学を卒業後、2025年に福島に戻った。
「地元の学校で、自分の頑張ってきたこととか、やってきたことをやりたいなと思って...」
養護教諭を目指している宍戸さん。現在は福島県二本松市の小学校に勤務し、その一歩を踏み出した。まだ助教諭という立場だが、教員採用試験の合格を目標に、仕事と勉強の両立に励んでいる。
「誰かの力になれるような、寄り添える職業って何だろうなって考えた時に、心理カウンセラーか養護教諭が思い浮かんで。養護教諭の方が子ども達のことをずっと長い間見ていられるし、自分自身の学生生活を振り返っても、色々サポートしてもらったことがすごくあったので」
■震災から15年 今あふれる思い
「慣れないことも多いが、子どもたちから活力をもらって、毎日働けている」と話す宍戸さん。子どもたちと接する日々の中で、震災当時の気持ちを思い出すことがあるという。
《震災当時》
Q:「いまでもママやパパに会いたいなと思う時ある?」
宍戸さん:「んーよくわかんない」
宍戸さんは「強がっていたり、大人に迷惑かけちゃいけないと思っていたり。そういう自分の気持ちを押し殺していた時があった」と振り返る。
「やっぱり父たちがいなくて、さみしいっていう気持ちを、周りの大人に伝えることがあんまりなかったので。やっぱり父とか伯母の話を振られたときに、なんて答えていいかわからなくて、ずっと『わかんないです』って言葉をずっと言っていた。やっぱり素直に、寂しい、会いたいっていう気持ちを打ち明けられなかったのはありますね」
「子どものときはこうやって、自分の気持ちを話すことができなかったので、大人になってから自分の気持ちをはき出せるって大事だなって思いました」
「頑張ったねって、当時の自分に一言だけ伝えてあげたいです」
あの日のことを受け止めながら、これからも前に、歩んでいく。















