笑顔の子供と出征する兵...戦時下を映すフィルム 戦後80年、平和の尊さを訴える《2025重大ニュース》
2025年の福島県内の重大ニュースを振り返る。2025年は戦後80年。一人の男性が撮影した戦時下の人々の暮らしの様子は、今を生きる人たちに平和の尊さを伝える。
■戦時下の様子が映る
花見客で賑わう福島県会津若松市の鶴ヶ城。カメラの前で笑顔をみせる子どもたち。そして、出征する兵士。
偶然見つかったフィルムには、戦時下に暮らす人々の様子が記録されていた。
福島県会津美里町の須藤勝衛さんは、2022年に自宅の倉庫に保管されていたフィルムを見つけた。撮影をしたのは父親の喜代志さんだ。
「写真館」の2代目だった喜代志さんは、映画用のフィルムカメラで当時の会津地方を撮影していた。
勝衛さんは「まだ話しができた頃に、こういうのが残っているとか、写真があるとか、書類もこういうのがあると言えば探したけど、本当に話ししなかったね」という。
■当時を知る"意味のある映像"
父・喜代志さんが撮影したフィルムに収められていたのは出征の様子。
行進をするのは、現在の会津若松市を拠点とした旧日本陸軍歩兵第29連隊。多くの市民に見送られ、出征した。
「着ている軍服などから考えると、満州事変が起こって割と早い時期なのかなと推測をしています」と話すのは、福島県立博物館の学芸員・栗原祐斗さん。
2025年の夏に、企画展で喜代志さんが撮影したフィルム映像を流した。
栗原さんは「例えば連隊長と思われる人物をクローズアップして映していたり、何か歌を歌って見送っている市民の様子や、客車に乗っている出征していく皆さんの顔を映していたり。かなり須藤さんが見せたい部分を、よく映してそれを編集でうまくつないでいる」と話す。
また「かつて昭和の戦争の時に、会津は兵隊を戦地に送り出す街だったということが映像からも分かると言うことで、とても意味のある映像だなと思います」と話した。
■映像に込めた思い
当時の若松市には、明治時代の終わりから旧日本陸軍の歩兵第65連隊が駐屯。
大正時代には、仙台から歩兵第29連隊が移され、「軍都」の一つだった。
ほとんどが福島県内の出身者であった第29連隊は、満州やガダルカナル島などで戦い、多くの若者が帰らぬ人となった。
フィルムには戦死した兵士を迎える様子も記録されている。
出征を志願したものの、背中のケガなどから叶わなかったという喜代志さん。戦地に向かう多くの知人や友人を見送った。
勝衛さんは「出征できなかった親父が、悔しさを本当に身にしみて分かる。自分が行けなかったから賊軍って言われて、自分が何か足しにしたいと音楽団を作って兵を見送った。何かしたという親父の気持ちも分かってきました」と話す。
■息子に受け継がれた思い
さらに「やはり戦争はやっちゃだめ。どこの国でもそうだけど絶対だめですよ。だから名誉とか出征するのが誇りに思っていたみたいだけど、その裏では本当に切ない家族がいっぱいいたと思う。だから、この映像で少しでも昔こういうことがあったと思い出してもらえれば本当ありがたい。親父もそれを訴えていたのかなと思います」と語った。
戦時下に撮影された映像。その一つひとつが、現代に平和の尊さを伝えている。















