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「友達の分も生きる」95歳の語り部が伝える郡山空襲の悲劇 同級生14人の鎮魂と平和への願い

終戦間近の1945年、福島県郡山市で500人以上が犠牲となった郡山空襲。その悲劇を生き延びた2人の女性が、同級生14人の鎮魂と平和への願いを込めて証言を続けている。

同級生が郡山空襲の犠牲に

1945年4月12日、アメリカ軍は福島県郡山市にある化学工場などを標的に、焼夷弾を投下。終戦直前まで計4度に渡り繰り返され、500人以上が犠牲となった「郡山空襲」。
福島県白河市にある、白河旭高校の一画。その石碑には空襲で犠牲となった、生徒14人の名前が刻まれている。

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白河市の須釜千代(すがまちよ)さんと伊東嘉子(いとうよしこ)さんは、学徒動員で郡山市の化学工場で働き、郡山空襲で亡くなった女子生徒14人の同級生だ。
須釜さんは「少し早めだったけれども自分の割り当ての仕事が終わったから、11時ちょっと過ぎに工場から食堂に向かって歩いている最中でした。防空壕の中に入れないで入り口あたりにうずくまっていた人なんかは、直撃でやられたの」と語る。続けて伊東さんは「亡くなった人たちはかわいそうだった」と話した。

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語り継ぐことが供養

あの日の記憶を語り続けている須釜さんには、強く感じていることがある。
「戦争を分かっていると思って、今までしゃべっていた。そしたら戦争を知らないっていうことを考えたの。私ようやく『ああ、みなさんは戦争っていうのを知らないんだな』って分かった。それまではみんなね、戦争を知っていると思っていた」

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戦後、80年。戦争を知らない世代がほとんどとなった今、自分が果たすべき役割を考えているという。
「はじめは、自分が生きていて友達が亡くなったら『亡くなった人のことしゃべるのは良くないのかな』と思ったけど、みんなに伝えていくことは、その人の供養になるっていう風に考えが変わった。友達のことを考えると『その分生きるから』って思うようになったの」と須釜さんはいう。

平和な時代が続くように。祈りを込めて郡山空襲の記憶を伝え続ける2人は、ともに95歳だ。

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