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戦後80年、戦争をどう伝えるか 戦争体験者は減少...形あるものでしか語れない記憶 遺品が果たす役割

「戦争を知る人はまもなくゼロになる」...今後、戦争を語り継ぐためには戦没者の遺品が大きな役割を果たす。遺品を通して平和をつなごうとする人たちを取材した。

遺品と写真だけが兄を知るすべ

終戦から80年、小湊好廣(こみなとよしひろ)さんに兄の記憶はない。
兄・榮一さんは、福島県会津若松市の出身で25歳の時に招集。南方のガダルカナル島で戦死した。
「私、この写真の通り生まれたばかりですので、全く記憶はないですね」と小湊さんはいう。温和な性格だったという話だけを親族から聞いている。
「ガダルカナル島は食料も全くなくて、餓えと暑さ、そういう中で戦ってきたということは本当に生きた地獄のような戦場だったと聞いています。本当に厳しかったのだなと時折思っています」

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太平洋戦争で犠牲となった福島県内の戦没者は5万4454人。最も多くを占めるのがフィリピン方面。
そして、ガダルカナル島をはじめとしたソロモン諸島やニューギニア。さらに中国や、シベリアなどの北方でも尊い命が失われた。
小湊さんは「戦後80年。改めて平和が必要と強く感じています。いまも戦争が続いているこの悲惨な現状を現実のものとして捉えて、二度と戦争をしてはいけない」と語る。

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遺品を通し戦争の記憶をつなぐ

戦争の記憶をどうつないでいくか、それを考え続ける男性がいる。
福島県田村市の鈴木正一さんは、20年前に有志とともに戦没者の遺品などを集め「平和祈念資料展示室」を開設した。
出征した人の無事を願い、女性たちが白い布に赤い糸で千個の結び目を作った「千人針」。鈴木さんは「遺族会にこれを提供してくれたお姉さんの話を聞いて、なんていう風に言葉を返していいか正直分からなかった」と話す。

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鈴木さんも、戦没者遺族の一人。父親の今朝元(けさもと)さんは、出征後に中国の陸軍病院で亡くなった。
「私の場合は、母親の手で子ども2人を育てたという。それも農業をしながらですから。母親の背中を見ると、だいぶ苦労をかけたと思いますね」と語る。
母親のキクさんは、戦後、自宅の8畳一間で養蚕業を営みながら子ども2人を育てた。戦争について多くを話すことなく、28年前に亡くなった。

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言葉だけでは伝えることが難しい、戦争の悲しみや苦しみ。「形あるものでしか語れない記憶がある」と鈴木さんは考えている。
「戦争を体験した生きている人はまもなくゼロになる。この戦争を語るには難しい時代になってきた。みなさんが戦没者の遺品などを見ながらどういう風に学んで平和を感じ取ってもらうのか、平和の大切さというのをどういう風にして作っていくのか、みなさんの財産にしてもらう以外ないと思う」と鈴木さんは語る。

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遺品は形見 子々孫々につないで

福島県遺族会・事務局長の佐藤洋孝さんは、戦没者の遺品について懸念していることがある。子から孫へ、戦没者遺族の世代も代わる中、遺品の処分が進めば、戦争の記憶を伝えていくことも難しくなっていくと考えている。
「私ども遺族会は、戦没者の遺品は戦没者の形見だと思う。ですから、ご家族で先祖が太平洋戦争・大東亜戦争に出兵をして亡くなったという形見として子々孫々に語り継いでいただきたい」と佐藤さんはいう。

平和をつないでいくために。戦没者の遺品は多くのことを問いかけている。

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